東京禅センター 平成19年度第6回公開講座 NO.29

天台小止観 その2松竹 寛山

平成19年10月27日




皆さんこんにちは。今日は第2回目になります。全部で5回しかありませんので、文献的にどうかというより、実際に坐禅をするに当たっての工夫の仕方、コツがお伝えできれば良いと思っております。前回は、仏道の修行には「止観」を身につけていくことが重要であり、それらは車の両輪であることをご説明しました。「止」は一つの物事に集中していくことで「禅定」を養い、「観」は物事をありのままに観察していくことで「智慧」の働きを開発するということでした。それでは、まず最初に「止観」の実習をしましょう。≪実習20分間≫ 

第一章〜第五章の「二十五方便」、すなわち「止観を実習するに当たっての25の工夫」あるいは「目の付け所」ということで解説されています。

第一章「縁を具える」・・・まずは、自分の置かれている環境の五つの基本条件を調えることが示されています。
            
(1)「持戒清浄」・・・戒を守って身心を清浄にすること。一般的には、まず「三帰五戒」を心がけること。
「三帰」は、@仏に帰依する、A仏法に帰依する、B僧に帰依する。つまり、仏教徒として仏・法・僧を最も尊い宝とみなし(三宝)救いのよりどころとして尊重すること。
「五戒は」、@殺生しない、A盗まない、B嘘をつかない、C邪淫をしない、D飲酒をしない。がすべての仏教徒が心がける「戒」。ただし、道徳ではないので、心がそれらに縛られないことも大切。また、戒を犯したとしても、間違った行為を自覚し、悔い改めることでその罪が消滅する。
(2)「衣食具足」・・・生活のために必要な衣食を具えること。あくまでも、分量をわきまえて満足することを知らなければ、心が乱れて修行の妨げとなってしまう。
(3)「閑居静処」・・・静かな場所で座ること。修行中は寺院や人里離れた場所を選んで騒がしさや忙しさから離れることが望ましい。
(4)「息諸縁務」・・・修行中は煩雑な人間関係から離れること。仕事や学問など、すべての雑事をやめること。
(5)「近善知識」・・・修行に対して理解し何かと援助してくれる人、一緒に修行し切磋琢磨していく道友、あるいは良い指導者を得るということ。
 
第二章「欲をす」・・・次に、眼・耳・鼻・舌・身から入る刺激に対する色欲・声欲・香欲・味欲・触欲、すなわち「外界の事象に対する執着(煩悩)」をコントロールすることです。
(1)「色欲」・・・容姿端麗な男女に対する貪りの心、あるいは様々な宝物などに対してとらわれる心をコントロールすること。
(2)「声欲」・・・男女の声が織りなす歌や詩、あるいは琴や笛など楽器の音や旋律に対してとらわれる心をコントロールすること。
(3)「香欲」・・・男女の体臭、花の香り食事の匂いなどに対してとらわれる心をコントロールすること。
(4)「味欲」・・・苦い・酸っぱい・甘い・辛い・塩辛い・淡いなどの飲み物や料理の美味に対してとらわれる心をコントロールすること。
(5)「触欲」・・・男女の身体、特に女性の身体の柔らかさや滑らかさなど肌や衣服に触れることで、この蝕欲に溺れとらわれてしまう心をコントロールすること。

第三章「蓋を棄てよ」・・・私たちが本来備え持っている「仏心・仏性」から来る善なる心を覆ってしまう五種の煩悩をコントロールすることです。第二章の「五欲」は外にある対象に対する煩悩で、ここでは、心の中で起こってくる煩悩をコントロールすることになります。
(1)「棄貪欲蓋」・・・自分の欲しいものを貪り求める心をコントロールすること。
(2)「棄瞋恚蓋」・・・自分の心と違う考え方や態度を怒り恨む心をコントロールすること。
(3)「棄睡眠蓋」・・・心を暗く重く沈み溺れさせ心を晦ます心をコントロールすること。
(4)「棄掉悔蓋」・・・そわそわして落ちつかず、自分の行為に対してくよくよと悩みを持つ心をコントロールすること。
(5)「棄擬蓋」 ・・・自分を疑い、師を疑い、法を疑う心をコントロールすること。


四章は実際の坐禅のやり方となります。重要な部分なので最初に五章をみて、最後に坐禅の詳細な工夫の方法についてみていきます。


第五章「方便の行」・・・仏道修行に対する心がけを説いています。一章〜四章までを実際に工夫し、心がけていくには、この章で解説される強い意思・やる気・エネルギー・行動力が必要なのです。
(1)「欲」・・・ 世間の一切の妄想や分別から離れて、禅定と智慧を得ようと心がける決意。「志し・願い・好む・楽しむ」ことともいえる。
(2)「精進」・・・五戒を護持して環境を調え、煩悩をコントロールし四六時中倦まずたゆまず修行に専心、継続すること。
(3)「念」・・・ 禅定と智慧の重要さを認識して、正しく思慮分別しその働きを日常生活の中で発揮していこうと強く念ずること。
(4)「巧慧」・・・一切の真実をありのままに見る般若の智慧。世間的な楽には逆に苦が多い。それに対して、禅定と智慧による楽は煩悩がなく、作意がなく自然で、しずかで、ゆったりしており、明らかに良いものであるとハッキリと認識すること。
(5)「一心」・・・世間的な楽には返って苦が多いと知り(巧慧)、禅定と智慧の重要さを認識したならば(念)、ひたすらに一つの対象に心を集注して修行することを一心という。

第四章「五法を調えよ」・・・止観あるいは坐禅を具体的にどのように修するかということです。「飲食」と「睡眠」を調えて、「坐禅に入る時・坐禅中・坐禅を出る時」において「調身・調息・調心」をどのように調えればいいのか工夫の方法を見ていきます。この章が古来より『坐禅儀』で引用されてきた部分です。
(1)「調飲食」・・・ 身体を養って修行を実践するために適量がある。食べ過ぎても心が落ち着かず、少な過ぎても無気力や食事に執着する心が起きて深い禅定(三昧)には入りづらくなってしまう。
(2)「調睡眠」・・・睡眠は心を暗くして、良い因縁を煩悩で覆ってしまうので、睡眠をむさぼってはならない。世の無常(道理)をハッキリと認識し、睡眠を適度にコントロールして、心や思いを清浄に保つならば、自然と深い禅定に入ることができる。

(3)「調身」・(4)「調息」・(5)「調心」・・・以下、坐禅のコツや工夫の仕方を示した読み下しと現代語訳の重要な部分を見ていきます。

第三には「身を調え」、第四には「息を調え」、第五には「心を調う」。これまさに合して用うべし。別説することを得ず。ただ、初・中・後の方法の同じからざるあり。これすなわち入・住・出の相に異なりあるが故なり。
〔第三には身体を調え、第四は息を調え、第五には心を調えることである。この三つは合わせて用いるものである。よって、別々に説明することはできないのである。ただ、初めと、中ごろと、終わりとでは方法の違うところがある。これは「坐禅に入る」・「坐禅中」・「坐禅を出る」という型に違いがあるからである。〕

第一に、「禅に入るとき三事を調う」とは、行人は、三昧に入らんと欲せば、身の宜しきを調えよ。もしは定外にあるも、行住進止、動静運為、ことごとくすべからく詳審なるべし。もし、所作が_なれば、すなわち気息は随ってなり。気がなるをもっての故に、心すなわち散乱して録し難く、兼ねてはまた坐せん時も、煩にして心は恬怡ならず。ここをもって定外にありといえども、またすべからく用心して逆め方便を作すべし。
〔第一に「坐禅に入るときに三事を調える」とは修行者が三昧に入ろうと思ったら調身・調息・調心を心がけることである。坐禅中でなくとも、歩く時もとどまる時も、動く時も止まる時も、日常生活において注意深く綿密でなければならない。もし、所作、動作が粗雑であるならばそれにしたがって呼吸も粗くなってしまう。呼吸が粗くなれば、心が乱れてしまい自分自身を内省することも難しくなってしまう。また、坐禅しようとしても心は落ちつかないのである。だから、坐禅中でなくともあらかじめ用心して調身・調息・調心を心がけることが大切である。〕

≪坐禅に入る時の調身・調息・調心≫
(調身の工夫)
つぎにまさに口を開き、胸中の穢気を吐き去るべし。気を吐くの法は、口を開いて気を放ち、気を恣にして出だし、身分の中の百脈の通ぜざるところをことごとく放ち、気に随って出づと想え。出だし尽くさば口を閉じ、鼻中より清気を内れよ。かくのごとくにして三たびにいたれ。もし身と息とが調和せば、ただ一たびにてもまた足れり。
〔(坐を組んだならば)つぎは、口を開いて胸の中の汚れた空気を吐き出しなさい。気を吐く方法は、口を開いて息を十分に吐き出す。全身の悪いものをことごとく放ち、それらが吐く息に随って出ていくとイメージしながら吐くことだ。吐き出してしまったならば、口を閉じて鼻から清気を入れる。このようにして、三度繰り返す。もし、身体と息が調ったならば一度でも良いだろう。〕

(調息の工夫)
第二に、初めに禅に入るときに息を調うる法とは、息を調うるにおよそ四相あり。一に風、二に喘(せん)、三に気、四に息なり。前の三を不調の相となし、後の一を調える相となす。いかなるをか風の相となすや。坐の時、すなわち鼻中の息に出入に声あるを覚ゆるなり。いかなるか喘の相なりや。坐の時、息に声なしといえども、しかも出入が結滞して通ぜざるは、これ喘の相なり。いかなるか気の相なりや。坐の時、また声なくまた結滞せずといえども、しかも出入の細ならざるを、これを気の相と名づく。息の層とは、声あらず結せずならず、出入綿々として存するがごとく亡きがごとく、身を資けて安穏に、情に悦予を抱く。これを息の相となす。風を守ればすなわち散じ、喘を守ればすなわち結し、気を守ればすなわち労し、息を守ればすなわち定まる。またつぎに坐の時、風気等の三相あらばこれを不調と名づけ、しかも心を用うる者にはまた患となる。心もまた定まり難し。
〔第二は、坐禅に入る時に呼吸を調える方法である。それには四つある。@風、A喘(せん)、B気、C息である。「風・喘・気」の三つが呼吸の調わない状態で、「息」が調った状態である。「風」は坐禅中に鼻から出入する息の音がする状態である。「喘」は坐禅中に息の音はしないけれども、出入する息が詰まったり、滞ったり、滑らかでない状態である。「気」は坐禅中に音もしないし、滞ることもないけれども、出入する息が粗くて細やかでない状態である。「息」は音もせず、滞らず、粗くもなく、出入は綿々として息をしているかしていないのかわからないようになり、身体はおだやかで心地よさを感じる状態である。「風」の状態が続くと心が散漫になり気が散る、「喘」の状態が続くと心が滞って憂うつになり、「気」の状態が続くと疲れてしまう、「息」の状態を続けると心が落ちついて安定してくる。また、坐禅中に「風・喘・気」の状態であれば、心は調わない。さらに、悩みが起こり病気にもなってしまう。心もまた安定することが難しくなってしまう。〕

もしこれを調えんと欲せば、まさに三法に依るべし。一には、下に著けて心を安んぜよ。二には、身体を寛放せよ。三には、気が毛孔にあまねくして出入し通洞して障礙する所なしと想え。もし、その心を細にすれば、息をして微々然たらしむ。息が調えば、すなわち衆患は生ぜず、その心は定まり易し。
〔もし、呼吸を調えようと思うならば、次の三種の方法を試みると良い。@心を下半身に置いて落ち着けていくこと。A身体をゆったりとリラックスしていくこと。B全身の毛穴を通して自由に呼吸するとイメージすること。これらをイメージする心を細かくしていけば、呼吸をしているかしていないか微細になっていく。呼吸が調えば病気や悩みは生じないし、心も落ちついてくるのである〕

(調心の工夫)
第三に、初めに定に入るときに心を調うとは、およそ二義あり。一には乱念を調伏して越逸せしめず。二には、まさに沈・浮・寛・急をして所を得せしむべし。何等をか沈の相となすや。もし坐の時、心中昏暗にして記録する所なく、頭が好んで低垂するを、これ沈の相となす。その時にはまさに念を鼻端に係け、心をして縁のなかに住在して分散の意なからしむべし。これ沈を治すべし。何等かこれ心の浮の相なりや。もし、坐の時、心が好んで飄動し、身もまた安んぜず。外の異縁を念ず。これはこれ浮の相なり。その時は宜しく心を下に向けて安んじ、縁を臍の中に係け、諸の乱念を制すべし。心すなわち定まり住すれば、ここにすなわち心は安静たり易し。要を挙げてこれをいわば、沈ならず浮ならざる、これ心を調える相なり。
〔第三に、初めに坐禅をする時に心を調える方法は二種類ある。@乱れる心を調えて余計なことを考えないようにすること。A「沈・浮・寛・急」を適切にコントロールすること、である。「沈」は坐禅中に心が暗く沈んで記憶もボーっとして頭が垂れがちになっている状態である。その時には、気持を鼻の頭に集注して、心をありのままに保って分散しないようにする。これが「沈」を治す方法である。「浮」は坐禅中に心がフラフラと浮ついて身体も落ち着かず、他のことを考えてしまう状態である。その時は、心を下半身に向けて落ちつけていく、また臍下丹田に集注し、心の乱れをコントロールすることである。心が定まれば、気持はゆったりと静まるのである。要するに、心が沈まず、浮ついたり、フラつかないのが心の調った状態なのである。〕

問うていわく、「心にもまた寛・急の相あることを得るやいなや」と。答えていわく、「またこのことあり。定心の急なる相とは、坐のなかに心の用を撮めてこれに因って定に入らんことを念望するに由る。この故に気は上に向かい、胸億が急に痛まん。まさにその心を寛放して、気はみな流れ下ると想うべし。患はおのずから差えなん。もし心の寛なるの相とは、心志は遊漫にして、身の逶たるを好むを覚え、あるいは口中より涎流れ、あるときには暗晦ならん。そのときまさに身を斂め念を急にして、心をして縁のなかに住せしめ、身体、相持すべし。これをもって治をなさん。心に渋・滑の相あることも、これを推して知るべし。これを、初めに定に入るときに心を調うる方法となす。それ、定に入るは、もとこれより細に入る。ここをもって、身はすでにとなし、息はその中に居し、心は最も細静なりとなし、を調えて細に就き、心をして安静ならしむ。これすなわち入定の初めの方便なり」と。
〔問うていった「心にもゆるみすぎる寛の状態と、急ぎすぎる急の状態がありますか」と。答えていった「寛も急もある。急は坐禅中に一生懸命に集中して三昧に入ろうと努力してしまうことによる。そのために、気が上に向かって胸が急に痛んでしまう。そのような時には、一生懸命に努力してしまう心をゆったりと解き放って、気はみな下のほうに流れるとイメージすると良い。そうすれば自然と癒えていくだろう。寛は心がだらけて散漫になり、身体が傾いたり、口からよだれが出たり、憂うつな気分になったりする状態である。その時は、身体と心ををシャンと引き締め、身心を正しく保ち続けることで治すのである。また、心に渋・滑の状態がある時も以上のことから推し量って工夫すれば良い。これが坐禅に入るときに心を調える方法である。禅定に入るには、原則的に粗いものから微細なものへと順に入っていく。身体は粗いもので、呼吸はその中間で、心は最も細かくて静かなものである。最初に粗いものから調えて、だんだんと細なものへと進み、心をゆったりと落ち着けていく。これが、坐禅をする時の最初の方法(コツ)である。〕

≪坐禅中の調身・調息・調心≫
第二に、坐に住するなかに三事を調うとは、まさに一坐において時の長短に随うべし。十二時のなか、あるいは一時を経、あるいは二時・三時にいたって、念を摂して心を用う。このなかにまさによく身・息・心の三事の調不調の相を識るべし。
〔第二に、坐禅中に三事を調えるとは、一坐は状況に応じて時間の長短に随えば良く、こだわる必要はない。一日のうち一時間、あるいは二時間、三時間と心を集注して坐禅をし、心を落ち着けていくのである。この時、調身・調息・調心の状態をハッキリと確認していくことが大切である。〕

もし坐するとき、向に身を調えおわるといえども、しかもいまこの身があるいは寛あるいは急、あるいは偏あるいは曲、低仰倶ならざれば、覚しおわって随って正せ。つねに安穏にして、中に寛急なく、平直にして正しく住せしめよ。またつぎに、一坐のなかに身は調和すといえども、しかも気があるいは不調ならん。不調の相は、具には上に説けるところのごとく、あるいは風あるいは喘、あるいは気が急にして身中に張満せば、まさに前の法を用いて随ってこれを治すべし。つねに息道をして綿々として有るがごとく無きがごとくならしめよ。またつぎに、一坐の時のなかに身息は調うといえども、しかも心があるいは沈あるいは浮、寛急倶ならざらん。その時、もし覚せば、まさに前の法を用いて、調えて中適ならしむべし。
〔坐禅している時、身体の状態を調えたとしても、「今、ここでの」身体がゆるみすぎたり(寛)、緊張しすぎたり(急)、あるいは片寄りすぎたり(偏)、曲がりすぎたり(曲)、かがみすぎたり(低)、反り返りすぎたり(仰)している状態に気づいたならば、すぐに正すことが大切である。つねに静かでゆるみすぎず、緊張しすぎない状態を保ち正身端坐することである。またつぎに、坐禅をして身体は調っていても呼吸が調っていない場合がある。具体的には上記のように風や喘、あるいは気の状態が身体中に広がっているならば、その時には、三種の方法に随ってこれを正せばよい。つねに、呼吸を調えて、綿々として息の出入が有るか無いかわからない状態にしておくことが大切である。またつぎに、身体と呼吸は調っているとしても、心の状態が沈んでいたり(沈)、フラフラと浮ついていたり(浮)、ゆるみすぎたり(寛)、緊張しすぎたり(急)している時がある。その時、気づいたならば上記の方法をもちいて調えると良い。〕

この三事を調うるには的しくは前後なし。調わざるものあるに随ってこれを調適して、一坐のなかに身・息・心の三事を調適して、あい乖越することなからしめよ。もし和融不二ならば、これすなわちよく宿患を除き、障妨を生ぜず、定道尅るべし。
〔(坐禅中に)調身・調息・調心の三つを調えるのに前後の順序はない。調っていないところに気づいたならば調える。坐禅中はいつも調身・調息・調心を調節して乱れることがないようにすることが大切である。もし、「沈」と「浮」、「寛」と「急」、「渋」と「滑」のように極端にならずに良く調和を取ることができるならば、過去の宿業を除き障りも生じないで修行を成就することができるだろう。〕

≪坐禅を出る時の調身・調息・調心≫
第三に出づる時に三事を調うとは、行人がもし坐禅まさに竟らんとして定を出でんと欲する時、まさにまず心を放って異縁し、口を開いて気を放ち、息が百脈より意に随って布散すと想うべし。しかる後に微々に身を動かし、つぎに肩胛および手・臀・頭・頸を動かし、つぎに二足を動かして、ことごとく柔軟ならしめ、しかる後に手をもって遍く諸の毛孔を摩し、つぎに掌を摩して煖ならしめて、もって両眼を被い、しかる後にこれを開き、身の熱汗がやや歇むを待って、まさに意に随って出入すべし。
〔第三に(坐禅を)出る時に三事を調えるとは、修行者が坐禅を終わって禅定を出ようとする時、まず心を解き放って外に心を向け、口を開いて気を放ち、息が全身を通って外に出ていくとイメージすると良い。そうして、その後、少しづつ体を動かしていく、肩胛骨、手や肘や頭や首を動かし、続いて両足を動かして、柔軟にほぐしていく。その後に、手で身体中の毛穴を摩擦する。つぎに、手のひらを摩擦して暖かくして、両目を被い、その中で眼を開く。そして、全身の熱や汗が少し引くのを待って、禅定からでるのである。〕

以上、まず第一に外的環境を調えることとして「五つの環境を調えること(第一章)」が説かれました。そして、内的環境を調えることとして「自分の外に対する五つの煩悩を調えること(第二章)」、「自分の中の五つの煩悩を調えること(第三章)」「修行に対する五つの心がけ(第五章)」が説かれています。また実際の坐禅に関して「具体的な坐禅の方法(第四章)」が説かれたわけです。これで、「二十五方便」の解説を終わらせていただきます。

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