東京禅センター 平成19年度第5回公開講座 NO.28

天台小止観 その1松竹 寛山

平成19年9月29日



 皆さんこんにちは。今回から『天台小止観』です。臨済宗の専門道場における老師の提唱では、坐禅の方法として『禅宗四部録』に収めてある長蘆宗頤の『坐禅儀』を基本として講義がなされます。その『坐禅儀』がよりどころとするのが『天台小止観』です。東京禅センターの「禅を読もう!」という講座で輪読した、大森曹玄老師の『参禅入門』にもずいぶん引用されていて非常に興味を持ちました。しかし読んでみると、難解極まりなくて非常に大変でした。どうしても公案修行に偏ってしまいがちな臨済禅の修行を補うものとして、或いは在家で修行を志されている方のために非常に有効な書物ですから、重要な部分を抜き出して簡単に解説させていただければと思っております。

手に入りやすい参考文献としては、以下の3冊があります。特に、大野栄人先生の『天台小止観の訳注研究』は非常に詳しく参考になります。もともと、愛知学院大学禅研究所の紀要に『天台小止観の研究』として、原著論文が掲載されていますからインターネットで検索されるとPDFで読むことが出来ます。今回はこれらを参考にして、臨済禅の実際の修行と絡めて、結構自由な発想で講義を進めさせていただきたいと思っています。前半3分の2は講義で後半の残り3分の1は「止観の実習」を行ないます。皆様のご批判を賜りたく存じます。

大野栄人著『天台小止観の訳注研究』山喜房仏書林 平成16年
関口真大訳『現代語訳 天台小止観』大東出版社  昭和53年
鎌田茂雄著『体と心の調節法 天台小止観に学ぶ』大法輪閣 平成6年


『天台小止観』
智(538−597)は天台大師とか智者大師といわれる天台宗の開祖です。6世紀の方ですから約1400年前に書かれた書物ですね。さて、仏教は本来「悟り」を得る方法であるといわれています。しかし、そもそも「悟り」とは何でしょうか?何か神秘的で私たちとは遠い世界のことを想像される方が多いのではないでしょうか。

禅学大辞典(大修館書店刊)によれば「悟り」とは、@迷いに対する覚の義。心の本性をくらます無明が除かれて、光明が現れること。始覚。A迷悟の対立をこえた覚の義。本来すべての人が備えている清浄な心性。本覚。となっています。要するに、迷いに対する気づき。あるいは、私達が本来備え持っている「清浄な心」すなわち「仏心・仏性」を自覚し、その働きによって様々なものに気づき、創造性を発揮させていくのが「悟り」といえるでしょう。また、「仏心・仏性」には「無限の可能性」が詰まっています。

略して矇きを開き初めて坐禅止観を学ぶ要門を明かす
    天台山の(智)禅師が説き  斉国の沙門浄弁が私に記す

「迷いや無明から解脱するために、最初に坐禅止観を学ぶ方法を説き明かす。天台山の智が説き、斉国の沙門浄弁が記録した。」とあります。

『小止観』の序文は次の言葉で始まります。

諸の悪は作すことなかれ
諸の善は奉行せよ
自らその意を浄うする
これ諸仏の教えなり

これは「七仏通戒偈」といわれ釈尊以前の六仏に釈尊を加えて七仏というのですが、この七仏が共通とした戒めの言葉です。仏教の要旨はこの四句に尽きるとも言われています。「悪いことはしてはならない、良いことをせよ、自らその心を浄くしていくこと。これが諸仏の教えである。」というのです。日々の心がけによって、私たちが本来持っている清浄な心、すなわち「仏心・仏性」の働きを妨げている曇りをきれいにしなさいと説かれているのです。

それ泥垣の真法は、入るにすなわち多途あれども、その急要を論ずれば止観の二法を出でず

とあります。泥垣は梵語のニルバーナの音写語で涅槃と同じ意味で、煩悩の火を吹き消すこと、いわゆる悟りのことです。「悟りを得る方法はたくさんあるけれども、最も重要なのは「止」と「観」である。」「止」は梵語のサマタの意訳で、外界の現象やさまざまな思いに心を動かさずに、心をひとつの対象に集中すること。「観」はビパッサナーの意訳で、私達に本来備わっている「仏心・仏性」、すなわち智慧の働きによって諸法の実相を観察することです。

止はすなわち結を伏するの初門、観はまた惑を断ずるの正要なり。止はすなわち心識の愛養を善くたすけ、観はすなわち神解を策発するの妙術なり。止はこれ禅定の勝因、観はこれ智恵の由籍なり。もし人、定慧の二法を成就すれば、これすなわち自利・利他の法みな具足せり。

結も惑も煩悩のことで、身心の落ち着きを妨げるものといった意味です。「「止」は絡みついてくる煩悩を抑えるための基本中の基本であり、「観」は煩悩そのものを断ち切り、無力化してしまう方法だからである。また、「止」は心を慈しみ育てるよい助けとなり、「観」は本来備わっている智慧の働きを促す方法である。「止」は禅定を得るためのすぐれた方法であり、「観」は自我の働きを止めて、本来の智慧の働きを導き出す。もし、「止」による禅定と「観」による智慧を身につけたならば自利・利他の方法がすべて備わってくるのである。」

すなわち、『法華経』の言葉を引いて

仏は自ら大乗に住し、その所得の法のごとき定慧の力をもて荘厳せり、これをもって衆生を度せり

「仏は自ら自利・利他をともに実践する大乗の教えに生きて、その教えに従って禅定と智慧の力を現実世界の中で実践して、衆生とともに歩むのである。」

この二法は車の二輪、鳥の二翼のごとし、もし偏に修習すれば、すなわち邪倒に堕す。

「禅定と智慧は車の両輪であり、鳥の両翼のようなものである。もし、どちらかに偏って修行したならば間違った道に落ち込んでしまう。」と、「止観」の効用を説きそれが自利・利他の実践である大乗の教えにかなったものであり、車の両輪であることを強調しています。

すなわち、『大智度論』を引いて


偏えに禅定・福徳を修して智慧を学ばざれば、これを名づけて愚といい。偏えに智慧を学んで禅定・福徳を修せざれば、これを名づけて狂という。

「もし、禅定だけを修行して智慧を学ばなければ、愚か者になってしまう。もし、智慧を学んで禅定を学ばなければ、狂人になってしまう。」と、「止」と「観」は偏らずバランスよく修練することが重要であると書かれています。

修行のプロセスからいうと、一般に「戒」⇒「定」⇒「慧」と進んでいくといわれています。専門道場では、規矩にのっとった規則正しい生活が義務付けられます。入門して最初の1年とか2年は、老師から「法身」という禅定を鍛える公案が与えられて、坐禅との両輪で禅定を徹底的に鍛えていきます。そうして、今度は禅定を鍛えることで自然と発揮されてくる智慧、いわゆる「仏心・仏性」を自覚しその働きを練っていく「機関」や、言葉の働きに関する「言詮」の公案を与えられる、というように進められます。ここでいう智慧の働きとは「物事を正しくありのままに観察する」だけではなく、もっと活発で活動的な意味も含まれています。つまり、臨済宗の公案修行から見ると、専門道場の規矩や生活環境が「戒」でしょう。初関の「隻手音声」や「趙州無字」の公案によって「禅定」を鍛えていく。そして、「智慧」の働きを「機関」「言詮」といった公案で鍛えていくという風にプロセスを追っていけるように組み立てられているのです。

『天台小止観』の方法は、坐禅を基本として日常生活におけるベーシックな部分での「止」と「観」の方法を示したものです。臨済禅はどうしても公案に偏りがちですから、日常生活の中でどのように修行を進めていくかという意味でも非常に有効で参考になると思っています。最後に『天台小止観』の構成を示します。

『天台小止観』の構成
≪目次≫

第一章 「具縁(縁を具える)」・・・ まず五つの基本条件を調える
(1)持戒清浄(戒を守って身心を清浄にする)
(2)衣食具足(衣・食をととのえる)
(3)閑居静処(静かな場所ですわる)
(4)息諸縁務(煩雑な人間関係からはなれる)
(5)得善知識(良い修行仲間とともに学び、良い指導者につくこと)

第二章「欲(欲をす)」・・・ 外界に対する五欲をコントロールする
(1)色欲(容姿端麗な男女、財宝などに対する欲)
(2)声欲(音楽、男女の歌声などに対する欲)
(3)香欲(男女の体臭、飲み物や食事の香などに対する欲)
(4)味欲(美味しいものなどに対する欲)
(5)触欲(男女の肌などに対する欲)

第三章「棄蓋(蓋を棄てる)」・・・ 心を覆う五種の煩悩を捨てる
(1)貪欲蓋(むさぼり求める煩悩)
(2)瞋恚蓋(怒り、恨む煩悩)
(3)睡眠蓋(心が暗くなったり、沈む煩悩)
(4)掉悔蓋(くよくよして、落ちつかない煩悩)
(5)疑蓋 (疑い深い煩悩)

第四章「調和(調和する)」・・・ 身心に関する五事を整える
(1)飲食 
(2)睡眠
(3)調身
(4)調息
(5)調心

第五章「方便行(方便を行ず))」・・・ 正しい修行への意欲・意志を高める
(1)欲 (迷いから悟りの境涯に至ろうと願う意欲)
(2)精進(十重禁戒などを護持し善に勤め励む行為)
(3)念 (正しい智慧によって衆生を済度しようとする意志)
(4)巧慧(正しい智慧によって世間と出世間の善悪軽重を見極める)
(5)一心(雑念を交えず集注して修行に励もうとする不動の意志)

以上、第一 〜 第五までの各五法をあわせて「二十五方便」とよび、
坐禅止観の修行に入るための準備の行としている。

第六章「正修行(正しい修行)」・・・ 正しい止観の修行法
(1)坐禅中修止観(坐禅中に止観を修行する方法)
@坐禅を始めた時に乱れがちな心を調える止観法
A沈んだり浮いたりする病的な心の状態を調える止観法
B止観の効果を上げるため止観を臨機応変・交互に用いる方法
C禅定に入った時に起こりがちな誤った認識を調整する止観法
D禅定と智慧のバランスを取るための止観法

(2)歴縁対境修止観(日常生活の中で止観を修行する方法)
@縁(行・住・坐・臥・作作・言語において)
A境(色・声・香・味・触において)


第七章「善根発相(善根が発る相)」・・・ 止観によって現れる良い効果

(1)外面的に現れる善根の相
(2)内面的に現れる善根の相
@善根が現れる相(息道の善根・不浄観の善根・慈心の善根・因縁を感ずる善根・念仏の善根)
A善根の真偽を区別すること
B止観によって善根をさらに養い育てる

第八章「覚知魔事(魔事を覚知する)」・・・ 止観修行中の魔境涯
(1)煩悩の魔 (貪り・怒り・愚かさなど)
(2)陰入界の魔(身心を構成する色受想行識による)
(3)死魔  (死の恐怖による)
(4)鬼神魔  (精魁鬼・埋タ鬼・魔羅鬼)

第九章「治病患(病患を治す)」・・・ 止観による治病法
(1)病気が起こる原因
(2)止観による治病の方法

第十章「証果(果を証す)」・・・ 正しい見方・考え方
(1)従仮入空の観(空観。現実の世界(仮)から空に入る)
(2)従空出仮の観 (仮観。空から現実(仮)の世界に入る)
(3)中道第一義観(空観にも仮観にもとらわれず、空仮相即の中道の理を証する観法。物事の実相に徹する最もすぐれた観法)

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